動中の工夫

坐禅コミュニケーション

唱題行初体験

 日蓮聖人が初めて「南無妙法蓮華経」と唱えた地、清澄寺(千葉県鴨川市)で行われている唱題行に初めて参加してきました(http://www.seichoji.com/)。

この唱題行は
『摩訶止観』の修行法を手本に湯川日淳上人(1876~1968)により提唱されたもので、「南無妙法蓮華経」と唱える唱題の前後を正座もしくは結跏趺坐(半跏趺坐)によるいわいる坐禅を行うのが特徴である。

 清澄寺では毎月27日(4月~10月 19:00、11月~3月 18:30)という硬派な日時に行われている。半年以上前から参加したいと思っており、今月(と来月)はちょうど日曜日ということでようやく参加した次第である。

 上述のごとく、止観の行であるから、坐禅と目指すところは全く変わらないといってよいが、体験したところ坐禅とはひと味違ったところもあったので忘れないうちに記事にしたいと思う。

①唱題行はみんなでつくる行である
 坐禅会も間違いなくみんなで坐る、その「みんなの力」によって坐らせていただいているという面があるが、唱題行ではよりその面が強い。だから木鉦(日蓮宗の木魚)と太鼓そして一人一人が合わせようという気持ちが非常に重要である。スピードは約30分のあいだに緩→急→緩とゆっくり変化してゆくが、最初の緩ではとくに注意深く合わせてゆく、そのあとは自然に題目が唱えようとするでなく唱えている不思議な感覚になってゆくものであった。「みんなの力」を修行に積極的に利用しようという大乗仏教の特徴といえるのかもしれない。

②理屈なしに元気が出る行である
 参加する前、やや憂鬱な気分であったのが、すっかり元気をいただいたのである。この季節にうっすら汗がにじんでくる。

 有田秀穂・玄侑宗久『禅と脳』という本に、ノルアドレナリン神経系が覚醒・興奮を司る警察の役割、ドパミン神経系が快感を司る歓楽街の役割、セロトニン神経系がクールな覚醒を司るお寺の役割だ、みたいなはなしがあったと記憶しているが(間違ってたらすいません…)、坐禅はまさにクールな覚醒、心地よい緊張感を感じさせてくれる。今回参加させていただいた唱題行はこれにドパミン神経系の快感も加わってくる感じがする。

 そこでなんか気分が落ち込んで坐禅が思うようにゆかない時には、気分を変えて声を出す唱題行を、といった工夫もあるのではないかと感じた。
 ただ元気になるからといって、「イケイケどんどん!」、となりすぎるのもよくない。ここを湯川上人の唱題行では非常に工夫しており、唱題の後、静坐、祈願文、四句誓願などを行い、正しい修行の方向を確認するのである。

 おわりに:ご一緒させていただきありがとうございました。また参加したいと思います。