動中の工夫

坐禅コミュニケーション

坐るときの工夫

柝の工夫

禅堂での坐禅では、言葉で合図せず柝や鐘の音で開始や終了を告げる。今回は和尚より柝の打ち方について指導を頂いたので、忘れないうちに書き記しておく。 柝は胸の前で叩くようにする。 叩いたときに反動で離すのではなく、ピッタリと合わせて止めるように…

アンチエイジングの瞑想法を考案しました

想定外のことが起こってもうまく対応できなくなってくる、更年期障害など性ホルモンの関係もあろうが、前頭葉のはたらきが衰えてくるということも関連しているらしい。 瞑想は前頭葉の働きを改善して感情のコントロールにもよい影響があるといわれている。そ…

100日後に結跏趺坐するのぐち

結跏趺坐ができず、いつも半跏趺坐で坐禅している。 なぜできないのか、分析しつつ3ヵ月くらいかけて坐禅会でも結跏趺坐で一炷坐れるくらいにしたいと思っている。 ◎なぜできないのか? 股関節が硬い 足首が硬い 臀筋が硬い 大腿四頭筋も? ◎これから取り組…

亀鑑をよみました

今日の坐禅会で釈宗活老師の亀鑑の提唱がありました。「亀鑑」というのは「のり、てほん、規範」といった意味*1で、禅宗では禅堂によって違いがあるものの、古徳が参禅弁道に努力するよう激励するような内容になっている。 私が参加している坐禅会の禅堂の入…

新年初坐禅会

謹賀新年 本日は今年初の坐禅会。坐禅の後は本堂にて大悲呪一巻読誦。 和尚の先師がよく揮毫された和歌があり、丑年にちなみ紹介してくださった。 怠らず 行かば千里の 末も見ん 牛の歩みの よし遅くとも (怠けずに歩みつづければ、いつしか千里の遠くまで…

背筋を伸ばすかどうか?

本日の和尚の講話にて。 円覚寺の足立大進老師が「朝比奈宗源老師に頭頂で天井を押し上げ、お尻と膝で地面を押し下げるようにして、身体を伸ばして真っ直ぐにして坐れと指導された。しかしわしは違うと思う。臍から上は力を入れず、はたから見たらちょっと猫…

禅堂での茶礼

坐禅会の後に行われていた茶礼は新型コロナウイルスの影響でしばらく中止していたが、再開することになった。 これまでは庫裏でお抹茶をいただきながら雑談したりしていたが、Social distanceに配慮した形として本来禅堂で修行僧が行っているスタイルに準じ…

警策の工夫 附 三拝の工夫

今日は警策の打ち方、打たれ方などを和尚よりご指導いただいたので、忘れないように記録しておく。 1.巡警の要領 2.警策の持ち方 3.警策の受け方 4.警策の叩き方 5.練習法 附 三拝の工夫 1.巡警の要領 ・柝一声、引磬一声 ・立って文殊様の前に移動し…

袴は肚の力養成ギブス

「坐禅せんと欲する時、閑静処において厚く坐物を敷き、寛く衣帯をつけ、威儀をして斉整ならしめよ」『坐禅儀』 坐禅会では普段、作務衣を着てゆくことが多い。みんなで掃除をすることが多いので便利である。 しかし、坐禅するならばきちんとした格好である…

名優は顔に汗をかきにくい(付)蚊取り線香灰の利用法

名優は顔に汗をかきにくいらしい。 集中すると汗が抑えられるかららしい。 坐禅してると玉のような汗が額からポタポタ、未熟な証拠かもしれない。 蚊取り線香の灰は研磨剤として使えるらしい。

さらに呼吸を工夫するべし

坐禅も続けていると、初心の頃の綿密さも薄れ、自己流に陥りがちである。 殊に呼吸・数息観がいい加減になりがちである。そんなときは「腹・肚・背の力のバランスを工夫」したり、「上体や首の傾きを工夫」したり、過去の経験から得たコツを思い返したりする…

唱題行初体験

日蓮聖人が初めて「南無妙法蓮華経」と唱えた地、清澄寺(千葉県鴨川市)で行われている唱題行に初めて参加してきました(http://www.seichoji.com/)。 この唱題行は『摩訶止観』の修行法を手本に湯川日淳上人(1876~1968)により提唱されたもので、「南無…

乞食の綿入れ―寒さに慣れる

寒いときは「乞食の綿入れやろうか」「よかろう、やろう」というので、丸裸になって、褌までパッと取ってやった。今度この綿入れを着てみい。ボーッと温うなってくる。乞食の綿入れじゃ、それはおもしろい。(中略)そうしてシコでも踏んで綿入れを着てみい…

誕生寺の晨朝法話

今日は祝日のため仕事はオフであったので、以前から気になっていた千葉県鴨川にある日蓮宗大本山・誕生寺の晨朝法話に参加しました。 朝のお勤め:5時50分から 法話:6時20分から 誕生寺HP(http://www.tanjoh-ji.jp/) 5~6名のお坊さんが「南無妙法蓮華…

お経・題目・念仏のリズム

今日は坐禅会の後、みなさんでお経のお稽古をしました。 和尚が英語で般若心経を読みましたが、リズムが良くてびっくりしました。お経は漢訳仏典を普段読んでいるわけですから、リズムさえよければアメリカ人は英訳仏典を読誦してもよいわけです。 誦経のほ…

ウオノメコロリ

左足指に魚の目ができた。もう一年近くできているがついに痛くなってきた。 きっかけは坐禅か? 初心の頃、しびれすぎてずっと感覚がなくなった部位だった。最近、ようやく感覚がもどって、痛みを覚えるようになった。 ウオノメコロリ液をぬって剥がそうと思…

前後裁断―数息観の工夫

平成21年5月28日朝日新聞朝刊に巨人の小久保選手の帽子のつばに「前後裁断」と書き込まれていることが記事になっていた。 「前後裁断」とGoogleで検索すると、阪神・下柳選手、横浜・工藤選手、日ハム・江尻選手などプロ野球選手が多く座右の銘としているよ…

花粉症と坐禅会

花粉症のでるシーズンは坐禅会に参加しにくくなる。鼻が詰まっていると、鼻息が聞こえて周囲に迷惑になるかもと臆してしまうからだ。なにしろ唾液を飲み込む音すら禅堂に響く静寂である。 そんななか、鼻閉症状があっても、坐っているうちに鼻が通る方法がわ…

坐禅を継続する工夫と親切について

去年の夏、半日ほどの小摂心に参加させて頂いた。初心者であったし、終わった時の疲労は相当で筋肉が凝り固まっていた。明日からまた仕事かあ、きついなあと正直思っていた。 終わる際の講座にて和尚が「今日の小摂心で、肚に力が相当蓄えられたはずである。…

継続の工夫

2008/12/15放送の「深イイ話」より(http://www.ntv.co.jp/fukaii/episode/081215/01.html) 岩手県在住の下川原孝さん。現在102歳。 今年、マスターズ陸上において砲丸投げの世界記録を樹立した。 その体は健康そのもので、毎日のスクワットや週4回の散歩…

摂心―長時間坐ることの意味―

坐禅会での和尚のお話を引用する。 考えると、摂心が七日なのは、実によく工夫されていると思う。坐睡のみの摂心も2~3日目が眠気のピークで、それ以後は眼が冴えてゆく。5~6日目になるとみな目がぎらぎらと一種の光悦状態になっているのか、みないい顏…

摂心に行きたいか?

大森曹玄老師が『参禅入門』でも書かれているように、居士といえどもたまには摂心に参加するといいという。 私は、12時間くらいの摂心に参加したが、つらかった。普段の坐禅の姿勢が悪いことが否応なく認知できる。無理な力が加わっている箇所がガチガチに凝…

腹に力を入れることの可否

無字の公案に取り組むときは、よく「ムー」とうなるように腹に力を入れよなどと言われる。この「腹に力を入れる」とはどういうことか? 腹に力を入れて呼吸することでかえって呼吸が荒くなってしまう(呼吸数↑)こともあるし、顔を赤くしてのぼせてしまうこ…

一夜の摂心を終えて

一夜の摂心に参加した。これほど長時間坐禅したのは初めてで、普段読まないお経も読んだ。 平素、いかにだらけた生活をしているかがよく分かった。以下、学んだことを記す。 ・道場での茶礼:直日に合わせて頂く。お変わりの頂き方は食事と同様に右手で合図…

坐る前の工夫(2)

とあるアメリカの禅堂では朝起きたらまず経行から行うそうである。 起床した者から順に経行の輪の中に入ってゆく。曹洞宗系の禅堂らしく最初はゆっくりと、次第に臨済宗の経行の如く速くなってゆき、最後には全力で駆け出す、これを三十分ほど行うそうである…

暑い日の坐禅における工夫

今日の坐禅会の法話より。 「人皆苦炎熱、我愛夏日長、熏風自南来、殿閣生微涼」(人は皆な炎熱に苦しむも、我は夏日の長きを愛す。薫風自南来、殿閣微涼を生ず)という漢詩がある。暑い時の坐禅は汗だくになってしまい苦しいが、その分禅定力も練れると考え…

数息観口訣Ⅰ

・吐く息に合わせて「ひとーつ」「ふたーつ」、10までいったらまた「ひとーつ」 ・禅定が深まったらもう「ひとーつ」「ひとーつ」でもよい。 ・もっといえば「ムー(無)」「ムー」でよい。この無は無字の公案で、有り無しの無ではなく、無そのものである。 …

開板の工夫

開板(魚板)は禅寺で合図に用いられる板であり、七、五、三に打ち鳴らされる。説明が難しいが、『遠山の金さん』の御出座シーンでならされる太鼓のようなリズムで打ち鳴らす。 坐禅会でこの開板を任されたのであるが、坐禅関係書籍やインターネットを渉猟し…

不立文字の世界でとるノート

『上達の法則』から著者岡本浩一氏が茶道のなかで気付いた「ノートをとる」効能について。 「まず、茶道の所作は、技能であるから、(中略)本来言語化できないことが多い。それでも記録するためには、言葉のないところに自分なりに言葉を作っていかなければ…

厳しさをもって坐る

今日は坐禅会の後、釈宗活老師のお墓参りをした。 和尚から釈宗活老師の逸話を拝聴した。円覚寺で大変厳しい修行をされて、三年間は横になって寝なかったという。臘八大接心を三年続けたようなものである。 私はそれを聞いて釈宗活老師は体力のあるかたなの…