動中の工夫

坐禅コミュニケーション

コミュニケーション欲

 人間の三大欲求といえば、一般的に食欲・睡眠欲・性欲といわれるが、玄侑宗久氏はこれに「コミュニケーション欲」を加えたいと数々の著書で述べられている。さまざまな仕事を経験した氏の経歴も「コミュニケーション欲」という観点から眺めるとまた興味深いと思う。「コミュニケーション欲」は性欲のなかに含めても良さそうであるが、そうせずにこの概念を提唱している氏の思想がある。関係性のなかで生きていこうとする欲求には、性欲に裏付けられないタイプのものもあるということだと私は考えている。

 ひきこもりはおそらくこの「コミュニケーション欲」が弱くなった状態であるといえるのではないか。したがってひきこもりからの脱却には「コミュニケーション欲」の回復が重要だと私は考える。

 「コミュニケーション欲」減退の原因には、表現をする頻度の不足が関係していると私は考える。表現をしなくなるとしだいに外界との関係性が薄くなり、表現をしたい事柄がなくなってしまうのであろう。

 たとえば感受性が高まる思春期の頃には「コミュニケーション欲」が誰しも高まるのだが、表現を避けていると、しだいに表現をしたい事柄がなくなってしまう。しかしこのような場合にもおそらく感受したものは深層心理にため込まれてしまう。それがのちのち悪さをして、うつやひきこもりになるのではないだろうかと、私は経験上分析した。

 思春期の頃は感受性は高まり「コミュニケーション欲」がわいてくるのに、表現する技術がないことが多い。しかし気にせずにまずは表現することが大事ではないだろうか。もっとも思春期だけでなく、何歳になっても同じことであるが。