動中の工夫

坐禅コミュニケーション

速度の遅い動中の工夫

 私は静と動の工夫には違いがあるように思える。坐禅指南書には「只管~」ただすることに相違はないとよく書いてあるが、やはりコツが違うように思える。

 たとえばバリバリ働くビジネスマンはスピーディーな仕事に集中力を発揮するが、ゆっくりとスピードを落として正確かつ丹念さを要求される仕事は苦手だろう。

 反対にスピーディーな仕事が苦手でも、ゆっくりスピードを落とさないといけない仕事が得意な人もいる。

 本当に器用な人は両方とも得意かもしれない。こういう人は本当にいつも「只管~」ただすることができる人なのだろう。

 私は前者のビジネスマンタイプの人間だろうと思う。竹箒で庭掃きをするとか、鍬で畑を耕すことは比較的集中力が続く。「無~」「無~」と鍬や箒に合わせて無地の公案に取り組んでいると疲れを忘れる者である。

 一方、茶席などでお茶を運ぶ時など、「こぼしはしないか?」「粗相はないか?」などと考えてしまい、抜き足差し足なのはよいが、背筋はまるくなり美しくない振る舞いになってしまう。茶道や書道のようにゆっくりスピードを落とさないといけない仕事は苦手なのだ。

 そこである和尚の口訣をひとつ。「壁をつたう雨垂れの如く…」
 
 その寺はつい最近まで雨垂れがひどく、滝のように漏っていたのでイメージしにくいが、ここでの雨垂れは静かに、たゆまず重力をうけ力強く下へとつたっていく雨垂れを指す。雨垂れそのものは1秒前のそれとは違うが「ズ、ズ、ズ、ズ…」と何時でも均等に重力が加わってつたってゆく。書道の筆の運びのコツを表現した言葉なのだが、「速度の遅い動中の工夫」に役立ちそうだ。