動中の工夫

坐禅コミュニケーション

理屈ではなく体験で理解できるか?

 ここ数年、私のテーマは「伝達」といえるかもしれない。

 例えば漢方や針灸のように理論だけでなく実践により体得してゆく技術をどう「伝達」してゆくか?

 例えば仏教の悟りのように一応理屈で説明し理解するものの、実際に体験しないと本当のことは分からない、といったことをどう「伝達」するか?

 科学技術と並列するが、科学と技術は別物。科学は理屈で説明できる。アインシュタインほどの頭脳がなくても、なんとか頑張れば私もあなたもアインシュタインの E=mc2という式も理解できる。しかし技術は結局、人が人に伝えなければならない。発見した物理法則は衰えないが、技術は伝えなければ、必ず衰える。

 したがってマンツーマンで教えていくOJT研修はそんなたいそうな名前などなくても古来から行われてきた。しかし人格と人格との間の伝達は相当に難しい、やはり人間ならではの方法をも用いる必要がある。

 そんなわけで、本来理論ではなく実践により体得してゆくべきことにたいしても、私たちは言語を使って理論的に説明してきた。正しく後輩に伝わらなくても、文章として後世に残れば再興する可能性もあるわけだ。

 私が研究したいと思うのはこの「伝達」の手法だ。江戸時代の医書とか能の『風姿花伝』などを読んでいると、実に面白い。親切というか身体感覚に直接訴えかけるようだ。

 思うに現代はテキストと現実が乖離していて当たり前、という不親切な風潮があるように思う。そのギャップは「人間力」で埋めてくれと。技術を「伝達」する技術が衰退したように思えるのだ。