動中の工夫

坐禅コミュニケーション

生死を考える

東日本大地震で多くの方々が亡くなった。復興は国民全体で考えなければならない。しかしそれとは別にして、生死の問題を個々が考える必要がある。(坐禅会の法話で)和尚は生死の問題は頭燃を払うがごとき、精神上の最優先課題であるという。

日蓮は「先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」といった。これと道元の「仏道を習うというは、自己を習うなり」をあわせて考えると面白いと思う。
生死の問題は自己の問題に他ならず、仏道の入門課題であり最終課題でもあるように思う。

今朝の講座では『碧巌録』第五十五則の話をされた。公案の話であり、ここで書くべき話ではないし到底書ける力量にない。ただ禅の公案とは風変わりな話が多いなあと感心したのであるが、
生死の問題にそれこそ命がけでいどむ修行者・漸源和尚の姿を見習おうと思いました。