動中の工夫

坐禅コミュニケーション

適度な緊張感

 緊張とかストレスというものは本来必要らしい。ところが「適度な緊張感」というのが実に難しい。過度に緊張して失敗したり、だらけすぎて失敗したりすることが多い。

 「適度な緊張感」に関する達人的アドバイスが欲しい。

 私が経験した「適度な緊張感」に次のようなことがある。これは毎週日曜の早朝(5:30)に参加している坐禅会のこと。和尚さんが警策と呼ばれる棒をもって道場を回ってくる。参加者は自ら警策を求めて構わない。道場に警策の音が響く。唾液を飲む音や、線香の灰が落ちる音までも道場全体に聞こえようという静けさの中のことである。とても「適度な緊張感」どころではない。横隔膜が震えるのを感じる、丹田呼吸どころではない。

 当然、「自我を殺し、無に成り切る」どころではない、煩悩だらけだ。自分を守ろうとする心、逃げたい心を「数息観」で打ち消すことが出来ない。合掌して警策を求める。バシッ!痛い!(この後、3日間は風呂にはいるのに痛かった)

 警策を受けてわかったこと。
・皮膚にはりつめた緊張感がある。
・(肩の)筋肉はリラックスしている。

 とりあえず「適度な緊張感」のコツは「研ぎ澄まされた皮膚感覚とリラックスした筋肉の感覚」と結論づけたい。