動中の工夫

坐禅コミュニケーション

不立文字の世界でとるノート

 『上達の法則』から著者岡本浩一氏が茶道のなかで気付いた「ノートをとる」効能について。

 「まず、茶道の所作は、技能であるから、(中略)本来言語化できないことが多い。それでも記録するためには、言葉のないところに自分なりに言葉を作っていかなければならない。茶道の炉の点前の柄杓を取る所作でなかなかうまく記憶に残らない所作があったのだけれども、それは、あるとき「そうか、手の形を形状記憶合金みたいにすればいいのだ!」と命名できたときに、解決した。言語になりにくいものでもいったん言語化することが大切なのである。つまり、技能をコード化し、コード化した内容を言語にする工夫が必要である。その工夫をするプロセスで、コード化が豊富になり、コードのシステムの整合性が高くなる」(上掲書、135頁)

 こういう言語化されたコツは個人的なものであるが、達人のものとなると、普遍性を持っていて、広く様々な人に有益であることが多い。また、野球の打撃で「上から叩きつけろ」などといわれるが、実際に叩きつけて打つわけではなく、そういうイメージでという意味であるが、このように全くその通り忠実に言語化されていなくてもいいわけである。

 この書で挙げられているノートをとる効能をまとめると、

・何時間後かにノートを取るために、「覚えていなければならない」と心理的圧力が加わる。

・ノートは反復練習を可能にする。

・ノートは経験の追体験を可能にする。

・ノートをとる行為そのものが、心理的なコミットメントを強め、自我関与を高める。

 私は、最近坐禅会で開版(魚板)を叩く役を任された。坐禅関係の書籍やインターネットを渉猟しても叩き方のことはよく分からず、まさしく不立文字の世界であった。今朝は初めて叩いたが要領を得なかった。今後、叩き方を自分なりにノートにとって、練習してゆきたい。