動中の工夫

坐禅コミュニケーション

言語・所作の説得力

 えきねっとで新幹線のキップを予約した。JR○○駅(ど田舎)みどりの窓口にキップをもらいに行ったが、駅員はPCの操作が分からない。しかしその駅員は焦ったり罪悪感に溺れることもなく、しれっとした様子で、他の駅に電話してやり方を聞きながらわびれることもなく対応された。

 はっきりいって業務態度としては失格である。機械の操作も把握しておらず、「少々お待ち下さい」「申し訳ありません」の言葉もないのであるから。機械の操作も要領を得ず15分もかかっており、普通なら怒りたくなるところだが、不思議と怒りは沸かなかった。

 なぜだか、その駅員の言語・所作そのものに説得力があったからである。この説得力は何に由来するのか?私はこの駅員は肝がすわっていたからだと思う。だからこそ機械操作の知識がなく、接客マナーが身に付いていないというその時点での能力的不自由状態において、心は自由であったのだと思う。それゆえその駅員の存在自体に肯定感・説得力があった。

 いわゆる言語外コミュニケーションの力ということだが、全く不思議なことである。