動中の工夫

坐禅コミュニケーション

瞑想と観察について

 自律訓練法において自己暗示をかけるときの言葉を「公式」という。自律訓練法の初歩段階では以下の公式を練習する。
基礎公式「気持ちがとても落ち着いている」
第1公式 手足の重感「手足が重たい」
第2公式 手足の温感「手足が温かい」
 ここまでを重温感公式といったりして、これによって実際に手足に重温感がおこりリラックス効果などが得られる。

 「手足が重たい」というのは「筋肉がリラックスして弛緩している」状態のことであろう。ただ「筋肉が弛緩している」というのはメカニズムで、実際には「手足が重たい」と自覚することができる。

 自己暗示によって実際に重温感がおこるのであるが、「起こそう起こそう」とするとかえって起きにくいので「すでに重温感を感じる」と思うのがポイントである。つまり「手足が重たい」という公式と「すでに重感がある」という観察が二つでなく一つになっていることが重要である。

 同じことが坐禅における数息観にもいえるのではないか。大森曹玄老師は「数息といえば息を数えるのであるが、そのばあいに、息と数とが二つにならないためには、息そのものよりも「心を数に傾けて」ヒトーツという心の目のほうに力点をおき、そのヒトーツに息がついて引きずっていかれるような心持ちになることが肝腎である」(『参禅入門』71-72頁、講談社)と述べておられる。ヴィパッサナー瞑想では「観察」ということが重視されるらしいが、「行為と観察が同時になる」ことで「行為そのものに成り切る」=「只管行為」ということなのかもしれない。