動中の工夫

坐禅コミュニケーション

清濁併せ呑む

 山岡鉄舟の門下一同で無礼講の宴会をしていた際、門人の一人が吐いてしまった。山岡鉄舟はなんとその吐物を片っ端から食べてしまったという。曰く「浄穢不二の修行をしたのだ」と。

 閑話休題、私は人間づきあいが苦手で、できれば人と関わらない仕事がしたいなあとつねづね思うタチである。私の友人にも社交的な者とそうでない者がいる。ある社交的な友人は「おれはいろんな人間と交わって仕事するのが好きだ、一人でする仕事なら耐えられない」と言っていた。概して人間づきあいというものは楽しいこともあればつらいこと・面倒なこともある。彼にとってもそれは同様だろう。しかしマイナス面を差っ引いても人と触れあうのが好きなのである。

 一方、人間づきあいがイヤな私にだって基本的に人間自体は好きだし、つきあいの中で楽しいことだってある。ただ嫌われたとかイヤな思いをさせてしまったとかいうマイナス面を大きく引きずって、マイナス面しか見えていないのである。

 まとめると、人間づきあいというものは楽しいこともあればつらいこと・面倒なこともある。人間づきあいに関して清濁併せ呑み、あるいは他人の良い面・悪い面も本来「浄穢不二」ととらえも自他ともに認めるる構えをつくっていきたいと思う。もちろんこの決意は対人恐怖に吹き飛ばされそうではあるが、認知としてはこうでありたい。