動中の工夫

坐禅コミュニケーション

「慈悲の瞑想」で基本的構えをつくれるか?

 交流分析で「基本的構え」とよばれる人生に対する姿勢では「私もOK、あなたもOK」が理想的であるとされる(詳しくは杉田峰康『人生ドラマの自己分析―交流分析の実際』などを参考にして下さい)。

 どうしたらこのような構えをつくることが出来るだろうか?ありがたいお説教をいくら聞いても、例えば「私はnot OK、あなたはOK」と構えをつくってしまっている場合、なかなか心癖は修正できない。

 上記書はそのような人でも再び新しい人生脚本を作っていけるような交流分析の手法について書いてある。

 つい最近になってテーラワーダ仏教スマナサーラ長老が「慈悲の瞑想」なるものを提唱しているのを知った。スマナサーラ長老『自分を変える気づきの瞑想法』という本を本屋でぱらぱらめくったが買ってはいない。ただ日本テーラワーダ仏教協会HP(http://www.j-theravada.net/)でも似たようなことが読める。

 「慈悲の瞑想」はなにかのお経が出典なのかスマナサーラ長老の創始なのかよくわからない。ただ、それほど真剣ではないがやってみたところ、非常に良くできていると思った。

 要は、交流分析でいう「基本的構え」が「私もOK、あなたもOK」でないと結構「慈悲の瞑想」はきつい。自分のイヤな面が見えてしまうからである。おそらく拒絶反応が起こるくらいなら一旦中止した方が良いように思う。気分の良いときに気軽に楽に拒絶反応がおこらない形で続けたらよいのではないかと思う。なぜなら拒絶反応が起こったという経験とイヤな感情が蓄積されてしまう恐れがあるから。

 逆に気持ちよく慈悲の瞑想ができた経験とその気持ちよさが蓄積されればこころが軽くなるような気がする。ただ私は2-3回しかやってないのであまり無責任なことは言えません。あしからず。